人を救うということ



最近、SNSで医療関係の方の「これが人を救うということだ」「人を救っている」という書き込みを目にする。

「人を救う」とはどういうことだろうと、とても違和感があって、何かしらもやもやしたものがある。私の障害者歯科の恩師・師匠は、歯科医師として、そして障害者歯科の先達として多くの方々の歯科治療に取り組んでこられた。障害者歯科の仕事は社会学だと教えて頂いた。そして福祉のこともお教えいただいた。歯科医師としてお仕事をされながら、福祉事業所を展開され、今は歯科医の仕事は引退されたが社会福祉法人 JOY明日への息吹で福祉の仕事に熱意を注いでおられる。同時に各地でのご講演や障害者歯科の発展、若手の指導医に携わっておられる。

私は先生の言葉で忘れられない言葉が3つある。

どんなに頑張っても、自分が手を差し伸べられる患者はほんの一握りしかいない。その人たちのために努力する。そして、医療の底上げをするのは自分たちではない。この方、この子たちがいるから医療、教育、福祉の底上げができる。大きな仕事をする人たちなのだ。助けられているのは自分たち。彼らが生きやすい社会こそ、自分たちが生きやすい成熟した社会だ。

修行僧のように今をコツコツ頑張りなさい。今の意味は後になってわかるのだから。

障害者歯科も福祉も、名誉も何も関係ない。これが自分の生き方だから。

ブログを書いてて泣きそうになる。鼻の奥がツーンとなってしまう。

この言葉があるから私は頑張れる。そして、助けるとか救うとか傲慢になってはいけない、学ばせていただいている、この方、この子が先生なんだと謙虚な気持ち忘れずにいられるのだと思っている。自分の人生の中で、先生と出会えたこと。月並みだが感謝以外の言葉しかない。なかなかご本人には言えないからブログで書いてみた。

いつか私も、これが私の生き方ですと言えるような、そんな歯医者になろう。

目の前の必要としてくださっている方のために努力しよう。そして、その方々が体を張って学ばせてくださったことを次に生かせていけるように、謙虚な気持ちを忘れず頑張ろう。

今の意味が、あとで分かるように。