支えられている自分



仕事で子供たちに多く出会う。自分の専門柄、ご病気があったり、重い障害があったりするお子さんも少なくない。
そんな時、思うことがある。
 
この子の生活、人生はこの子の意思だろうか。
 
この子が自分の意思をもって毎日を過ごせているのだろうか。
いつもいつも、ここでつまづいてしまう。そして、落ち込む。
 
子どもは自分の児童期を生きることしかできない。児童期を認識するのは大人のすることである。しかし、認識することにおいて何が優位を占めることになるのか。大人の観点か、それとも子どもの観点か。
 
ここにたどり着く。
 
自発的に日々暮らせるにはどうしたらいいのかを常に考えていけるといい。決してその子が受け身的な生活にならないように。
 
この子が好きなものはなんだろう、それを感じ取ることを大切にしたい。
 
絵本でも、私が好きだから読んであげるんじゃなくて、この子はどんな絵本に興味があるのか考えたい。
そう思いつつ、自分はそれができているのだろうか、悩むことも多い。
 
そんな時いつも心に響くのは、「誰かの支えになろうとしている人が、いちばん支えを必要としています」と言う言葉。
 
悩んだ時、行き詰まった時、支えてくれる「ひと」と「ことば」は大きな力になる。
 
支えているつもりでも、支えられてる自分に気づくことができると、きっと頑張れる。
 
子供たちも、ご両親も、きっとそうなんだろう。
 
子供たちの好きなことを一つずつ見つけていけますように。