人としての責任とは?



出校日の土曜日、子ども食堂から出前が届きました。事情があってご飯が食べられないお子さんにお昼ご飯をうちで食べてもらうために届けてくださいました。

子どもたちはお腹いっぱい食べて、歯ブラシして帰って行きました。

この子たちは氷山の一角で、たとえ子ども食堂があっても、そこまでたどり着けないことあるでしょう。子ども食堂を展開しているのは、民間のボランティアです。民間からの支援もあるようです。 

子供の貧困について思うことはblogでも書きましたが、なぜ民間が子供は宝だと必死なのに、行政は何を見ているのかなぁと疑問に思うことも多々あります。

福祉は他人の幸せのために自分の時間を使う仕事だと学びました。行政、、特に福祉行政に携わる方々はそうあってくださってるんですよね。って思うのです。

そんな中、行政関係の方の投稿のハッシュタグに「人としての責任」という言葉を見つけました。とても違和感がありました。

美しい言葉です。給食が頼りの子供達に「人としての責任」は?福祉を必要としている方々への「人としての責任」は?

決して批判しているわけではありません。

美しい言葉、耳障りのいい言葉、でも何も具体性がなく、解決策のない言葉です。それは障害者、障害児支援でも使われてるけれど、何も解決策を講じていない。支援しましょう。寄り添いましょう。では、具体的にどうやって?

医療だってそうです。連携しましょう。関係するための研修会しましょう。机上で。ではどうやって?どんなふうに?何も具体策はない。

学校も支援学校の先生方に介助をお願いしても、自己流になって、このままいくと経口摂取できなくなるようなことをしてても、頑張ります、楽しく安全に食べれるように努力します。どうやって?質問もせずに自己流で?

美しい言葉です。人としての責任。

使うなら、実践して欲しい。具体的に何をどう責任を感ずるのか。何をどうすれば、変わっていくのか?

どうなのでしょう。