障害児と健常児のはざま



発達の研修を受けた2時間ほどの間に、なんど「障害児」「健常児」という言葉を聞いたか。

その中で「障害児」を「健常児」にするにはどうすればいいかという意味の質問が出ました。質問された方は、もっと違う意味での質問だったと思うのですが、その言葉に愕然としてしまいました。集団の中で発達に凸凹のある子どもたちは離席してしまったり、いろんなところに目が行ったり、騒いだり、一緒に行動できなかったりすることがありかもしれません。

歯科医療の現場でも、泣いて暴れたり、診療台の背板が倒せなかったり、すぐ起き上がったり、歯ブラシをいやがあったり、必要以上に痛がったり、顔にも体にも触れなかったり、本当にいろいろです。

その子たちのそういった、「周りが困った行動」には、それなりの原因があるのです。指摘したり、やめさせたり、その場を離れさせたりする前に、なぜそんな行動をとってしまうのか理由を探ってみませんか?

そうすると、感覚過敏(味覚・嗅覚・触覚・視覚・聴覚)や同一性保持のために恐怖に対する防衛反応であることが理解できると思います。

その原因を探り、子どもたちの行動の意味を理解すれば「健常児」のようになるのではなく、その子がそのこのまま、自分らしさを失わないように楽しく生活し、自分の歯科の健康を守れるようにサポートできたらと思います。みんなと違うところを、違った分だけ改善しなければいけないということはなく、困ったと思っているのは、その子ではなく周りなんだと理解したいですね。

「障害者」とは、その定義はこうです。

「身体障害、知的障害又は精神障害があるため、継続的に日常又は社会生活に相当な制限を受ける者」

「相当な制限」って、なぜ生じるの?疑問ではありませんか?

「相当な制限」を与えているのは社会ではないの?医療現場ではないの?教育現場ではないの?保育現場ではないの?その子の周りではないの?

もし、その子に向かい合って悩んでいる方がいたら、改めて自分を振り返ってみませんか?そうすると、目の前の子は「障害児」ではなく。「健常児」ではなく〇〇くん、△△ちゃん、という一人の子どもの姿が見えてくる。その子に必要な支援が見えてくる。私はそう思います。

慣れさせるではない  我慢させるではない  頑張らせるではない  繰り返させるではない 脳の状態に見合った識別系を育てる手立てを見つけることができると感じます。

「生きにくさを解決する」「誰も取りこぼさない」「寄り添う」いろんな耳障りのいい言葉があります。でも、では具体的な言葉や方法って何でしょう。

「障害」は個性といいます。個性で済まされることなのかな?

医療が必要な時、療育が必要な時、それは「障害」であり個性というオブラートで包むことでなありませんし、早期の介入の必要性を示すべきです。でも、生活の中ではその子のかわいらしさ、いいところをたくさん見つけて「個性」なのではないのでしょうか。

「障害児」「健常児」というくくりの中のはざまに子どもを置きたくない。この子は一人の人として尊重したい。

そして、発達や障害特性に配慮した歯科医療を提供したいと思いました。

この数日、悶々としています。