実は支えられている



ある人とちょっとだけど話をした。

仕事の話しをしたけれど、とても大変そうで、辛いだろうなと思った。よく理解ができる。福祉はどんなにやっても答えの出ない泥沼にはまることもある。

でもそんな時って、むかいあってるのは苦しみを抱えている人、苦しんでいる人でなくて、自分のことがある。
自分と向かい合ったって、苦しんでいる人の苦しみは無くならないし、自分の苦しみも無くならない。なくなるはずがない。
 
苦しんでいる人と向かい合うことはとても大事だと思う。自分の苦しみは、苦しんでいる人と本当に向かい合った時と、そのことで学んだことや出会った方から支えられるものなのだよね。
 
支えてると思っても、実は支えられてるんだよね。
 
自分が楽にならないと、自分が楽しくならないと仕事ってできない。
自分の苦しさの理由を周りに作っても何の解決にもならない。
 
ひょっとしたら傲慢になって「してやってるのに、なぜ喜ばないんだ」って思ってるときだろうな。「みかえり」を求めているときなんだろうな。って思う。
 
時ととして陥る落とし穴。
抜け出すには自分で気がつかないといけないね。