食べることを考える



脳性麻痺のご高齢の方が来院された。口腔内はいわゆる崩壊状態。残っている歯は全部抜歯になった。

誤嚥性肺炎、りんごを召し上がって窒息の既往があり、抜歯と入れ歯の型取り(正確にはスワローエイド飲み込みをよくする装置)は全身麻酔で高次医療機関へお願いした。

装置ができるまで時間がかかるので、まず今食べることができる食形態や環境つくり知るためにVFを、治療前にお願いした。

とろみでの水分など詳しく評価して下さった。

高次医療機関からは無気肺と思うほどの便が詰まっていて、摘便をご家族にお願いしたとのことだった。

車椅子の姿勢も明らかに側弯をすすめている。

排泄は出かける前に下剤をかけるだけとのこと。

口腔内は過敏。

でも、ご家族のせいではなく、

情報を出さなかった私たちの責任であるように感じた。

 

 

関わっている知的障害者の施設も高齢化が進み、食べることが問題になっている。

2025年問題が言われ、団塊の世代が高齢期を迎えるいま、その時代を生きて来た障害者もまた高齢になる。

でも、高齢者や中途障害者の摂食・嚥下の支援体制は整って来ているけれど、機能を獲得していない障害者に対する支援はどうだろう。高齢期を迎えた障害者は光が当たっているのか。

そう思いながら、スワローエイドを作りに取り掛かる。

口腔内の過敏に関してはとにかく脱感作をしてもらうしかない。

完成したら、少しは食べることが楽になるだろうか。そうなっていただくように頑張ろう。

できあがったら、もう一度、VFで装置を使った時の食形態や姿勢などの環境を評価してもらうことをリハ科の先生にお願いした。

私は主に発達期の摂食・嚥下をみている。

最近、とても思うことは、子どもたちのリハビリや療育の先にある「加齢」を見据えた、生涯を通してQOLを高めるための支援もまた、発達機の段階で考えることが大事なのではないだろうか。

食べる機能は、もって生まれたものではなく、生後、学習して獲得するものであるからこそ、「美味しい幸せ」を私たちは食べる道具である口の仕事をするものとして保証せねばと思う。